日々の記憶
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -





新年。

春に学校企画で初めての展示会があるので、それに向けて自分の根っこを掘り起こす作業をしている。

先生は
自分がこれから焼きもので何をやっていくのか真剣に考えてやりなさい
と言ってくれて、その言葉を受け止め考えたいと思い。


色々と魅力的な作家やアーティストを知ると感動して影響をうけることもあるけど、
それがそのまま自分にあてはまるわけでは無い。
自分の表現は自分のなかにしかない。


世界に入り込める音楽を聴きながら、
自分が何に反応しているのか探ると、
いつも出てくるのは大学時代にバイトさせてもらったカフェ。

あそこで過ごした時間、空間、あそこに存在するもの、匂い、すべて感覚的に自分のなかで反応したのを思い出す。


光を受けて輝くガラスの透明感や、
風に揺らめく麻布のカーテン、
力を込めて押さないと動かない重く立派な木の扉、
人の手で沢山撫でられて艶やかになった大木のカウンターテーブル、
仄暗い洞窟のような小部屋の中に灯るほおずきのライト、
畳の部屋に響く水琴窟の澄んだ音、
空間全体をあたたかく感じさせる立派な土壁、
身体を低くしながら障子を開けて入るにじり口のある間、
身体の芯に染み込むような自然の恵みをいかした漢方のお茶、
センス良く選ばれた個性を強く放つ器たち、
冬の季節に漂っていた蝋梅の香り、
そしてそこに居る太陽の精のようなスタッフさんたち

少しの時間しか働いてはいないけど、
そこにいるだけで五感をくすぐる要素が沢山あって、そういうものが自分がずっと大切にしていきたいものだと思える。
色々惹きつけられるものはあるけれど、結局絞り込むとそこに行き着く。


学校では自分がなにをすべきかどうしたいのかまだわからない子も中にはいて、
そんななかで(比較的人生長く生きてるのもあるけど笑)大切にしたいものがちゃんと見つかっているというのは幸福なことだと思う。

あとはその要素をどう自分の作品として昇華させるかというところ。

自由に、あたまをやわらかく、感覚的に、心を躍らせながら 作ることをしていきたい。
今年の目標のひとつ。笑


ベストを尽くせ。
これも別の先生がくれた言葉で、単純ながら力強く、心に残った。
悔いなくやりきりたい。


頑張るぞ!
(自己満足小学生的日記みたい笑)



みつはし comments(4) trackbacks(0)
夢中


足りない、全然足りない。

周りに対してもそう思うし、
自分に対してもそう。

狂ったようにやり続ける人に対して、
まだまだ普通の生き方をしている。

もっと、心酔しなければいけない。
夢中にならなければいけない。

探求し続ける人を知っている分、
今が物足りない。
意識が低い。
そんなところを問題にしている場合じゃない。

環境のせいには出来ない。
孤高として手を頭を感覚を動かす。


_


どのジャンルもそうかもしれないけれど、焼き物にもなんとなく決まりきった世界の見方?宗派?があるように感じる。

その偏った見方に染まってなぞっていくと、似たようなものしか生まれてこないのではと。
狭い世界を感じてしまう。

分からないけど。

視点を広く持たないといけない。
可能性をひろく見ること。

何のためにやっているのかを明確に。
どこに焦点を当てるのかを明確に。


_


歳のせいにしてはいけないけど、若さフレッシュな大学の時程やる気がいまいち出ないのを反省して刺激に触れにいったら否応なく感化された。

何かを目標にしているというよりは
その行為そのものを探求することに夢中になっている人。

それが一番強い。

夢中は作品に表れる。


私も、表せるようになりたい。
心の中に沸き起こる感動の光に敏感にいたい。




みつはし comments(0) trackbacks(0)
日々_20151016

焼き物を通した自分の興味について。


ここでも何度か書いている感覚の通じる子と、それぞれ何を作っていきたいかという話を重ねるなかで見えてくるものがあったのでまとめられてないけど書く。
話を深められるその子はほんとにありがたい存在。

.

普遍的なもの。
原始的なもの。
根源的なもの。

生命記憶。
共鳴。

存在として迫力のあるもの。


「器」になると形にある程度制限が出てきてしまうので、そこにとらわれるつもりはなくて、もっと土の造形物としての存在を迫るものをつくれるようになりたい。

装飾的な上辺の表現にはあまり興味がなくて、
土という素材を使い、火で焼くからこそ作り出せる表情にときめく。

色や形に終始した陶芸、と言われることもあり、
そうではなく、自然の素材で作るからこそ、を大切にしたい。土を愛せるようになりたい。

できるだけ作為を排除したい。
自然の力を借りた、現象的な表現。

彫刻では作り出せない、素材の力を魅せるものを。


.


自分の表現を考え考えているうちに視野が狭くなる一方で、たまに宇宙規模で目線をひいてみて、自分の世界のちっぽけさに気が軽くなったりもする。

最近、その子が持った来てくれた星雲の写真集を見せてもらって、とても感動した。
宇宙のなかにあるものが、土で作り出せる表情に似ているものがあったり、
自然界のなかにみるものに似ていたり、
宇宙も自然のひとつで、すべてつながっているのだなと勝手に納得した。

いつか読んだ本で、人間の内臓は小宇宙だと書いてあったものがあって、確かに当たり前すぎて疑問にも思わなかったけれど自然と沸き起こる内臓感覚だったり生理的なものだったりに理屈では解明できない不思議な宇宙を感じる。
自分の内側にも宇宙があるのかと思うと一気に宇宙との距離が縮まった気がした。


.


何のためにつくるのか。

人に勝つためとか、お金を得るためとか、人によって目的は違うけれど
私の場合は、
創造することによる感動、
内に沸き起こる瑞々しさ、
その健やかさを得るため。

見失わずに、土に恋してときめいて進んでいきたい。

みつはし comments(2) trackbacks(0)
日々メモ_20151002



あなたは頭で考えちゃう人だから。
考え過ぎずに好きなことをやればいい。


自分の適正を見つけたら、それを続ける。発展させる。表現へ昇華させる。


内側と外側の接点、断面という繊細な部分。


自分が楽しく作れるサイクルをつくる。


アール・ブリュット「生の芸術」という概念の存在


作為的でなく、自然的現象として表れた様相をいかした作品。


技法を開発する。そこから生まれる表現。


「生まれる」んじゃなく、「気付く」。


机の上に置いて見て、良いものが出来た とにやにやしてしまうようなのが一番良い。

____


感覚が通じる先生たちや、先生から聞いた作家さんについて調べていて知る言葉が刺激的で、
それについてやっぱり頭で考えてしまって夢の中にまで粘土が出てきた笑。

あるところで聞いたものが別のところでの話にも繋がっていたりして、神様の導きを感じる。

この半年先生との距離がなかなか詰めれなかったけど、早めに仲良くなりたいし私を理解してもらいたい。
やっぱり先生という存在がとても好きで、話をきいて作品を見てもらってドキドキする。楽しい。

尊敬する人に褒めてもらいたい忠犬精神が自分にとってはモチベーションを保つひとつの方法なのだと実感する。あの人に褒めてもらいたいがために頑張れるし、褒めてもらえたら尻尾ふっちゃう笑。


土の世界にきて半年、まだまだ表面しか知らないけれど、少しずつ深い部分がチラチラ見えてきている気がする。

今までの人生に無かった、素材と自分との贅沢な時間。
大切に日々積み重ねていきたい。





日々 comments(0) trackbacks(0)
日々_20150927

夏が去って秋がきた。

涼しい風にのってやってくる金木犀の香りがたまらなく心地いい。

また徒然印象的だったことなど書きます。
長いです。

_


クロヌマタカトシ展@sahan

以前より尊敬する木工作家さんのクロヌマさんの個展が近くであるというので訪れた。

数年前の個展を訪ねた時に見た、一角獣の彫り物がとても印象的で、どこかしら自分のなかに指針とするものとしてあったのだけれど、
今回の個展で見た、鹿の彫り物はそれを越えてきた気がする。

流木のなかにある、自然が作った表情を活かしながら、そのなかに鹿を彫り込んでいるもの。

鹿と正面から向き合って、目が合うと、
そのなかに吸い込まれそうな感覚になった。

本物の鹿と目があったような錯覚をおこすような、
剥製の鹿よりもより本物の、命を感じる目をしていた。

数年間で、より高いところまで来てはる、日々の積み重ねを感じて、
より尊敬の念が強まり、そして励まされたように思う。
素材と向き合って、考えて、苦しんで、それでも手を動かして、そうした過程を繰り返してきたのだろう。毎日頑張らな。

クロヌマさんのものに限らず、「良いもの」の中は身がきゅっと詰まっているように感じる。
物理的に詰まっているんじゃなくて。
その作品に向き合う時間や精神が重ねられる毎に中が充足されるような。

そういうものに出会うと凄くパワーを貰える。
素敵な作品を見せて頂けて感謝。


_


本当の意味で頭の良い人


以前ここにも書いた、同じクラスの感覚の良い女の子と相変わらず陶芸のことについて話す。

その子は陶芸に対してとても誠実で、まじめで、自分は何をしていくべきか本を読んだり一生懸命考えたり向き合うことをしている。

私もそういう風にまじめに考えることを好むけれど、なかなか自分と同じくらいの価値観でそういう話が出来る子が見つからないからその女の子とはとても楽しく話をさせてもらっている。

8つも年が離れているからかよく相談してきてくれて、なんとも可愛い存在。

今まで出会った人のなかで、
本当の意味で頭が良いって思う人(偉そうにすみません)って数人くらいしかいないけど、この子もそのなかのひとりだなと思う。
ちゃんと物事に向き合って、深く考えられる人が私は好きみたい。

その子と話していて熱が高まって、課題以外に自分の作品を自主的に作って、決めた日にお互いの作品講評をしていくことになった。
その提案をした時の反応が凄く嬉しそうで、ほんとなんとも可愛い存在。笑

一人でも価値観を共有できる人がいるというのは有難いことだなぁと感じる日々。


_


土と火による創造


これまた尊敬する友人に誘ってもらって、「風の旅人」という本の編集長さんが企画する、陶芸家とのトークショーへ。

とっても良かった。
焼き物への目線が変わった。
見失っていた自分の進むべき道を思い出させてもらえたようだった。


トークショーでは高野山で作陶されている師弟関係のふたりがお話してくださった。

お師匠さんの方は山小屋にいそうな白髭の生えた、ガタイの良いおじいさんで、
お弟子さんの方は腰の低い、不思議な雰囲気を持つ優しそうなお兄さんという感じ。

お二人は高野山という土地から生まれる焼き物を大切にされていて、
土も、窯に入れる薪も、その地で採れるものを使っている。
同じ杉の木であっても、その土地の空気や水を得て育った木には、その土地の空気が含まれているのだと。

穴窯という窯で焼き、釉薬はかけず、薪が燃えて灰が被ることで生まれる自然釉で仕上げている。

お師匠さんの方は場合によっては3回も焼きに入れるという話を聞いてびっくりした。
穴窯は1回焼くのでさえ2日〜3日寝ずに火の番をしなくてはいけないのに、それを3回分やるのかと。
でも、だからこそこの風合いになったのだろうなと感じられる迫力があった。

話の折に「エキサイティングに生きる」という言葉が出てきて、窯を焚くことはエキサイティングなのだと。
釉薬になる灰が溶け出すのが1250度以上で、穴窯でだせる最大温度は1300度程、
その僅かな隙間を保つには火を焚き続けなければならない。
その時のお師匠さんの様子はお弟子さんによると鬼のようなのだと。そして焼きが終わると抜け殻のようになっていると。
それがなんとなく想像できて、ああ凄い世界だと、どきどきする。

「白い透明な光の中から"誕生"してくる」
司会である編集長の方がそう言って、白い透明な光とは高温になった火のこと。
この人たちの焼き物は単なる焼き物ではなく、命を帯びた焼き物なのだと教えてくれた。もはや神聖なる世界だ。

そんな焼き物だから、他の器と一緒に食卓に並べた時に他が負けちゃう、とも仰っていて、それも納得。持っているエネルギーが違う。


お弟子さんの方も興味深いことをされていて、
その人は自分の足で土を取りに行っていた。宝探しの様。

和歌山に生まれたから和歌山のもので焼き物を作りたい。
その想いから、どの辺りにどういう土があるのかという調査から始まり、あちこちの山のなかを求め歩いていると。それは、人工的に管理されていない、自然の恵みそのままを保った土の見せる表情に感動があるからこそ。

更に土を水簸するなど、粘土にする過程も自分でやらなくてはならない。

ろくろでの成形は焼き物をつくる過程の全体の1割くらいだとお話されていて、
私はその1割に今8割くらい力をかける感覚で作っていたけど、
素材の調達や窯焚きにも重きを置くと、確かに成形なんてほんの少しのことだと思えてしまう。

私たちの学校では主に提供されるのが扱いやすい粘土一種類だけで、
この人たちの土に対する姿勢を見ていると、まだ自分は何も素材を知らないのだと気付かされた。

そもそも自分は造形どうこうというよりも土という素材に興味があってここにきたのだから、それを知らなくてはいけない。土のなかに潜んでいる沢山の神秘に出会いたい。

沢山のものを見るうちによく分からなくなっていた自分の行くべき道を指し示して貰えた出来事のようで、
それに誘ってくれた信頼できる友人や、風の旅人佐伯さんが関わっているところからも確信を得ている。

その先に何があるのかは、自分で得られるように励まないと。

_



日々 comments(0) trackbacks(0)
日々_20150723


今日はバイトの帰り道に流れ星を見た

ささやかに感動

夏になって気付いたけど、今住んでいるところは星が沢山見える

もう少し山の方へ行けばより沢山見えるのが予想できて、星見ツアーを妄想する



日々刺激的な夏休みで、
似たようなこと書きそうやけど自分の記録として書く

文章荒くてあまりちゃんと伝えようとしていないのでよく分かんないかもしれませんすみません笑


_


素材との距離


尊敬する作家さんのブログを読んでいて、「素材との距離がまだ遠い」というような言葉が出てきた

その方は木工作家さんであるけど、
木ではなく土でものを作ってみた時思うようにならなくて、それを上のように言い表していて、良い表し方だと心に残った

距離を近づけるには素材ととにかく向き合うしかない
手で、身体で、感じて素材を理解する
素材と対話する

素材との距離、という言葉を受けて、
私も土と仲良くなりたいと思った


夏休みに入ってろくろばかりやっていて、
最初はすぐぐにゃんと崩れるし、厚みは均等にならないし、思うようにいかなかったけど
毎日触っているうちに少しは分かってきた気がして、
それは馬を乗りこなせるようになったような感覚に似ていて、
こうすればいうことを聞いてくれるというのを身につけられてきたように思う

ただ今はろくろであって、造形方法が変わるとまた扱い方が変わるのだろうけど…

素材との対話に言葉はないけど、
土の方を触ってみたり、
自分の手の方を調整してみたり、
素材と身体との間で感覚をすり合わせるかんじ、調整していくかんじ、
出来てくるととてもとても楽しい、面白い


_



平面と立体

少し前の私は写真を通して表現を考えていたことがあった

光が美しく物体を表すのが刻まれた画や
立体が平面に落とし込まれたからこその面白さを感じることはあったけれど

でもやっていくうちに自分の求めるものはもっと触ったり匂ったり物体としての存在感をもつものだと思った

だから土という自然素材を通した表現をやってみたくなった

実際3ヶ月ほどやってみて、何も知らなかった頃から比べれば色々知識や経験を順調につませてもらっているけど、
本当に面白い




同じクラスに感覚が合うと感じる20歳そこそこの女の子がいて、
まだ若いのに感性がすごく豊かで鋭い

展示を一緒に見に行ったりしていて、良い!!と感じるものが一緒だったり、
これはこうだけどあっちはああだとか、感覚的な話が出来て、それが理解し合えるのがとても面白い

ものの持つ迫力とか、パワーみたいなものを察知して共有できることが面白い

なんで同じ「人の手」で作られたものでもこうも惹きつけられる力が違うのか

やっぱり制作のなかで込められるパワーや、
その作者自身の持つ人間性が詰まっていくからなのかなと今は考えている


やっぱり自分自身がでちゃうから、
もっと自分を追い込んで、根源的なところで作らなくちゃいけない

納得できるものをつくるには、
2年の学校の時間は短いなと焦る

既にあるものではなく、
それぞれだからこそ生み出たものを求められている

その女の子と比較的"きれい"な陶芸作品をみていて、あまり魅力を感じないのはなんでだろうねと話していたら、
彼女は「これは想像を超えてこないから」というような言葉を言って、
ああ そうだなと思った

想像を超える、ということは
感動を与えること

それこそがつくる喜びなのだろうな


_




日々 comments(0) trackbacks(0)
存在の強さ


_


立体物を作る環境でしばらく過ごして、

作品として表れたものはその人の全てを語るということを感じている


口や態度や装いでいくら取り繕っても、

その塊を見ればその人の強さや姿勢が何となくわかる


逆に多くを語らずとも、

その人が制作する時につぎ込んだパワーみたいなものは自ずとそこに迫力として表れる


面白いなと思う反面、

自分が作るものも自分自身を読み取られてしまうのは怖いことだ


美しさとは何か、という哲学的な思考

その答えは簡単には見つからないから、
人は答えを探して手を動かすのだろう


生命

普遍

偶発


考え過ぎると頭がかたくなる…

そもそも言葉にしようとするのが間違いなのかもしれない



まとまらないまま書き連ねました

記録として


手を動かすうちに視界は開ける気はする



日々 comments(0) trackbacks(0)
日々_20150628

バタバタした日々です

簡単にこの頃の気付きを書き留める


_



技術を習得するということ


当たり前やけど陶芸とはものを作ることで、今まで使ったことのない道具や素材を扱うようになって、本格的に物体的な制作の環境に足を踏み入れたのだなと思う、幸せだ

ものを作るうえで、実際に起こった現象に対して、なぜそうなったのかを考えることをよくするようになった
そしてどうすればそれが改善されるかをまた考える、繰り返し

ろくろを回して形が正確でないのはなぜか、芯がとれていなかったからだ、まず芯を取ることをしっかりしていこう

石膏ろくろで削っていた石膏が天板から飛んでいくのはなぜか、刃をあてる力が強かったからだ、優しくゆっくり削っていこう

現象には考えれば理由があって、それを改めると明確に改善されることを体感して、これが技術の獲得の過程なのだろうなと思う

とても面白い


_



琵琶湖会


大学のサークル仲間と久しぶりに集まって琵琶湖湖岸で飲んだ

琵琶湖に沈む夕日を見ながら好きな人たちとお酒を飲むことの幸せ

なんだか、大学のサークルでたまたま出会ったメンバーやけど、人間性に通じるものがあってとても不思議やなと思う

久しぶりに会って、間も無く話題が民藝の話になっていた時、そんな事になるのはこの人たちやからやなぁと話を聞きながら面白く思っていた笑

分野は違ってもそれぞれの才能が発揮できる健やかな場をもっていて、年を重ねるほどにそれが育っていっているように思う、
とても尊敬できる人たち


_



魚の美味しさ


まかない目当てでバイトし始めた居酒屋の出してくれるお魚が堪らなく美味しい

ここにわざわざ書くほど美味しい笑

お刺身、揚げ物、お吸い物、煮物、色んな形で出てくる魚料理がどれももう美味しくて、毎回まかないに感動する笑

ご夫婦でされている小さな居酒屋ながら、ほとんどのものを手作りしているこだわりようで、魚以外のごはんも美味しくて美味しくて、料理をつくる人と素材への尊敬が絶えない…

働いたあとでもまかない食べた後の帰り道は元気になってて、身体が喜ぶごはんなのだと体感する

お魚が余ったら冷凍したやつをくれはって、その優しさにも感動…
魚好きやのになかなか買えへん生活なので神様かと…笑

こっちはあたたかい人が本当に多い
家族にも近い感覚でやさしくしてくださって、でも多分こっちではそれが当たり前なんやと思う

田舎やけど、やからこそ良いところもたくさんある気付き


_



展示をすること


ちょこちょこと作家さんの展示を見に行っていて、
来年くらい自分も作品を展示することをぼんやりイメージしたりするなかで、
前職でギャラリーという場を経験できたのは大きかったなと今思う

色んな作家さんに出会えたし、考えや想いも聞かせてもらえた
空間の使い方も色々見せてもらえたし、人に作品を見せることを考える経験ができた

展示にはその人そのものが反映される
展示から発される目に見えないものを見る人は感じ取る

見せる意識の高いものは分かるし、
そうでないのも分かる

あとは作り手の人間性も作品価値の一部だということ
自分自身も磨くことを怠ってはいけない


人を感動させるって難しいことだ

自分がやるってなった時にいよいよその難しさに直面するんやろう

その時が楽しみであり、不安でもある


_






日々 comments(0) trackbacks(0)
日々_20150505



◆日々のこと メモ書き







_


表面的でなく、内側から発される何かを持つもの

作為的でなく、偶然性を持つもの

を大事にしたい


_


ものを作る人の中でも素材によってなんとなく人種が別れているように思うけれど、

私は木工的な人に惹かれる

自分が男に生まれていたら木を選びたかったし、
(実際は土選ぶかもしれんけど)
そんな風格をもった人になりたかったと憧れる人種の方々がいる

穏やかであり芯をどっしり構えた強く優しい人
素敵だと思う


_



土と向き合う初めての時間は

頭で理解するというよりは体感的な理解になるのかと感じられて

途中から白熱して黙々と手を動かしつつ、
雄弁に土と話していたように思う

土って私にとってはとても心地いい話し相手だった

人と話すことを蔑ろにしそうになるほど笑

そういう時間を持てる幸福と豊かさ


_


新緑が美しい

よく晴れていて後ろの青空によく映える

自然の美しさを目の前にすると、

美しさに関して、何を人は生み出す必要があるのかと思う

本物への憧れ

人には作り得ない領域





日々 comments(0) trackbacks(0)
未知の道



前回のブログから4ヶ月が経った

身の回りの変わり様や、気持ちが安定しないことがあってなかなか文章を書く気になれなかった日々だったけれど、
どうしているか気にかけてくれている人がいるようで近況を簡単に書きます、嬉しい、ありがとう


---


今のところ元気になんとか生きています

この春は変化の多い春でした

3月末で大好きな人たちのいる会社を退社し、
4月からは岐阜県で陶磁器の学校に在籍しています

年も年だし、もう人生最後の我が儘で、
自分の探求したいことを徹底的にできる環境に身を置かせてもらおうと思った

陶磁器に至ったのは色んなきっかけが重なったのだけれど、とりあえず省きます笑

それらのきっかけは、神様がこっちにいったら良いよと与えてくれたもののように感じて、導かれるようにやってきました


---


入所式で、所長さんが言葉にした、
土と火のscientist というキーワードが印象的だった

土と火という自然のものによって、新たなものを生み出せる可能性を感じさせられる

自然の力を使った実験、
なんて面白そうなのだろう




仕事を辞めて引っ越して1人でいると、なんで楽しくやれていた仕事を辞めてしまったのかと不安で潰れそうになるときもあったけれど、
やっぱり自分の興味が強い未知の部分を知りたい欲は収まらないし、こうする他なかったのだと今は思う

身を捨てて飛び込まないと得られないものもきっとあるはずだと信じたいし、そうした覚悟なしに実りはない


---


陶磁器は実用品であり、芸術品にもなりうる、分類するのに曖昧な部分があるもの

今いるところは陶磁器産業が盛んで、各製陶所で大量生産されているので、
器という機能を持ったものなら捨てる程あるそうで、実際に町を見て歩くと溢れているのを感じる

そして100円均一に行けば使い勝手の良い器なんて沢山売っている時代

そうした中で必要とされる器、土による造形とはなんだろうかと考える

自分が土の表現を学ぶ対象に選んだのは、様々な技法によって作られる表情の面白さに、美しさに感動することがあったから

宝物のような存在にも感じられる、美しい土による成果物

そうした存在が与える感動を作り出すことが自分がしたいことでもあるし、
物が溢れた今の時代に必要とされる豊かさを持ったものなのかな、とぼんやり考えている


学校には作家の先生方や先輩も沢山いらして、それぞれの人が何を思って創作しているのか、話を聞きながら自分の中の答えを深めていくのがこれからの楽しみ


---


久しぶりに文章を書くとぎこちなくなるなぁ笑

考えを言葉にまとめることって頭の中の整理にもなるし、結構大事なことなのかもしれない

また時間を見つけて新しい環境で感じたことを留めておけるよう、書き連ねていこうと思います




みつはし comments(4) trackbacks(0)
| 1/70 | >>